埋めこむ心 潜むモノ 掬い揚げる人
2005年12月8日 家族・子育て ご無沙汰でした。サボってただけですが。
先日、仕事でメールの文章について怒られました。
「文面が固い」「キツイ表現」「悪意がある」
書いている本人は中々気付けない。まして、悪意とは言わないまで
も負の感情の欠片があろうものなら、文面の(多少の)強さこそが
正しい、それこそが言いたい事、なんて勘違いしてしまう。
「〜してください」
「〜して下さい」
「〜して下さい。」
コレだけでも随分と変ってくる。
「〜をおねがいします。」
「〜を御願い致します。」
漢字が与える文体の堅さ。資料として納めるには整った良い感情と
なるが、それが意思疎通の手段としては違った意味を持つ。
冷たさ。突き放した感覚。何かを依頼する文は特にそう。
”突き放した御願い”と受け取られがち。
「〜ですね」
「〜ですね?」
「〜ですよね」
「〜ですよね?」
これらもそう。文章にアクセントは無い。無論、倒置や句読点の
手法を使えば、ある程度は表現出来る。が、これはビジネスメール
での事。その重責は、そのまま文末の締めが担う事になる。
「です”よ”ね”?”」 ”よ””?”が持つ、非常に大きな意味。
意思を投げる側は、恐らく気付けない。けど、受け取る側は、多分
過剰な程に感じ取る。いや、深読みする。まして、受け取り側に非
がある状態ならば。
表情、イントネーション、言葉の早さ、それらをリアルタイムに
使い分けられる「会話」とは全く違う。「文章」とは思っている
以上にムヅカシイ。”国語”という教科が、何故主要5教科の筆頭
に今尚君臨するか。その一端に気付けた気がする。
で、前置きはココまで。
珍念の記事が、ジワリジワリと話題に挙がっている様で。
珍念の”非”として良く挙げられる、「あまりにもチンケすぎて〜」
のクダリ。あの文をどう受け止めるか。突き詰めれば、あの文面から
「悪意」をどれだけ深読みするか。
公共の場の文章に、筆者が悪意を埋め込む事は、決して許されない。
弾劾する場では無い筈だし、反論不可の弾劾があってはならない為。
では、悪意が潜んでしまった場合はドウか。埋め込んだ訳じゃ無い。
でも、その時感じた微かな負の思い。
文は、素直な表現程それに応えてしまう。
悪意があるなら謝罪と訂正を。無いのなら反省を。
どちらにしろ、アレは適切な表現では無い、と俺は思う。
でも、本当に拙いのは、そんな所では無いと思う。
「何も考えずに〜」のクダリ。
何も考えずに文を書く事。
何も考えずに意思を表現する事。
何も考えずに他人へ意思を伝える事。
コレがどれ程大きい事か。
表現が拙かった、では済まされない。ココは「汚点」だと思う。
早い話「書くけど俺はしらねーよ?」、只の責任放棄だから。
編集側は何をしていたのだろう。編集長という立場は無いのだろう
か?推敲しろとまでは言わん。が、校正すらまともに、あるいは
全くされていないのは、誤字脱字の多さからも一目瞭然。
そんな状況を把握し、その上での「何を書いても良い」だったの
だろうか?
珍念の起用。好意的に受け取れば、”話題性もあるし、出場選手と
の面識もある。一つ、閉塞感に風穴あけるか”との目論見が有った
のかも知れない。が、俺は邪推する。
”ドウセ初登板だし、有る程度のミスは許されるだろ。好き放題
させてみるか”
目して語らず。日本の美徳かもしれない。が、語られているのは
あんたがたじゃない。
起用した責任。果たせなかった責務。文責は記者に有るが、編集者
には無いとでも言うのか。前回のカワサキ氏でも起きた問題。
彼らは何も学べなかったのだろうか。
あえて発言する。
無能、と。
この発言に対し、一切の責任を放棄しない。
先日、仕事でメールの文章について怒られました。
「文面が固い」「キツイ表現」「悪意がある」
書いている本人は中々気付けない。まして、悪意とは言わないまで
も負の感情の欠片があろうものなら、文面の(多少の)強さこそが
正しい、それこそが言いたい事、なんて勘違いしてしまう。
「〜してください」
「〜して下さい」
「〜して下さい。」
コレだけでも随分と変ってくる。
「〜をおねがいします。」
「〜を御願い致します。」
漢字が与える文体の堅さ。資料として納めるには整った良い感情と
なるが、それが意思疎通の手段としては違った意味を持つ。
冷たさ。突き放した感覚。何かを依頼する文は特にそう。
”突き放した御願い”と受け取られがち。
「〜ですね」
「〜ですね?」
「〜ですよね」
「〜ですよね?」
これらもそう。文章にアクセントは無い。無論、倒置や句読点の
手法を使えば、ある程度は表現出来る。が、これはビジネスメール
での事。その重責は、そのまま文末の締めが担う事になる。
「です”よ”ね”?”」 ”よ””?”が持つ、非常に大きな意味。
意思を投げる側は、恐らく気付けない。けど、受け取る側は、多分
過剰な程に感じ取る。いや、深読みする。まして、受け取り側に非
がある状態ならば。
表情、イントネーション、言葉の早さ、それらをリアルタイムに
使い分けられる「会話」とは全く違う。「文章」とは思っている
以上にムヅカシイ。”国語”という教科が、何故主要5教科の筆頭
に今尚君臨するか。その一端に気付けた気がする。
で、前置きはココまで。
珍念の記事が、ジワリジワリと話題に挙がっている様で。
珍念の”非”として良く挙げられる、「あまりにもチンケすぎて〜」
のクダリ。あの文をどう受け止めるか。突き詰めれば、あの文面から
「悪意」をどれだけ深読みするか。
公共の場の文章に、筆者が悪意を埋め込む事は、決して許されない。
弾劾する場では無い筈だし、反論不可の弾劾があってはならない為。
では、悪意が潜んでしまった場合はドウか。埋め込んだ訳じゃ無い。
でも、その時感じた微かな負の思い。
文は、素直な表現程それに応えてしまう。
悪意があるなら謝罪と訂正を。無いのなら反省を。
どちらにしろ、アレは適切な表現では無い、と俺は思う。
でも、本当に拙いのは、そんな所では無いと思う。
「何も考えずに〜」のクダリ。
何も考えずに文を書く事。
何も考えずに意思を表現する事。
何も考えずに他人へ意思を伝える事。
コレがどれ程大きい事か。
表現が拙かった、では済まされない。ココは「汚点」だと思う。
早い話「書くけど俺はしらねーよ?」、只の責任放棄だから。
編集側は何をしていたのだろう。編集長という立場は無いのだろう
か?推敲しろとまでは言わん。が、校正すらまともに、あるいは
全くされていないのは、誤字脱字の多さからも一目瞭然。
そんな状況を把握し、その上での「何を書いても良い」だったの
だろうか?
珍念の起用。好意的に受け取れば、”話題性もあるし、出場選手と
の面識もある。一つ、閉塞感に風穴あけるか”との目論見が有った
のかも知れない。が、俺は邪推する。
”ドウセ初登板だし、有る程度のミスは許されるだろ。好き放題
させてみるか”
目して語らず。日本の美徳かもしれない。が、語られているのは
あんたがたじゃない。
起用した責任。果たせなかった責務。文責は記者に有るが、編集者
には無いとでも言うのか。前回のカワサキ氏でも起きた問題。
彼らは何も学べなかったのだろうか。
あえて発言する。
無能、と。
この発言に対し、一切の責任を放棄しない。
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